稲田朋美が防衛大臣になった。この人物は以前紹介した通り、「国民の生活が第一なんて政治は間違ってる」と言ってのけた人物である。

この稲田朋美の考え方がBuzzFeed Newsにまとめられていたので紹介しよう。

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BuzzFeed News2016年8月3日


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>>「夫婦別姓運動はまさしく、一部の革新的左翼運動、秩序破壊運動に利用されているのです」

>>2010年に出版された、稲田さんの著作「私は日本を守りたい 」より。稲田さんがとりわけ強い思いを込めて、反対しているのが、選択的夫婦別姓法案だ。稲田さんにいわせると、この法案は「亡国法案」である。

>>なぜなら、夫婦別姓は家族のつながりを「希薄化させる」から。「いま日本社会が取り戻すべきは、家族の一体感であり、夫婦・親子の絆ではないかと思います」

>>「家族の絆を強めるためには、やはり夫婦が同姓でいることが好ましい。これは長い日本の歴史の営みのなかで、ごく自然にみなが受け入れてきたことで、なぜわざわざ破壊する必要があるのか」 .

>>この法案を推進する議員は稲田さんからはこう見える。「彼らの本心はマルクス主義のテーゼに従って結婚制度や戸籍制度の廃止、さらには家族の廃止を最終目標にしている、そんなふうに見えます」



うーむ。夫婦別姓が「左翼」であり、「秩序が破壊」され、「家族の廃止を最終目標にしている」とは全く意味不明である。稲田朋美の中では、夫婦別姓程度で繋がりが無くなり、秩序が破壊されるほど、日本における家族のつながりというのは弱いのだろうか? 


この論理で行くと、結婚して名字が変わった場合、実の両親とは家族としての繋がりがなくなるはずである。また、孫は祖父母と家族としての繋がりはなくなってしまうはずだ。そんな事実が果たしてあるだろうか?


夫婦別姓が、結婚制度そのものや、戸籍制度、さらには家族の廃止を最終目標にしているなど、全く理が通らない。第一、夫婦別姓を主張している人たちは、日本全体を夫婦別姓社会にしようとしているのではなく、個人の選択肢として、夫婦別姓というものを認めろ、と言っているに過ぎない。稲田のように、夫婦同姓がいい人は別に夫婦同姓を選べばいいだけである。なぜこれが結婚制度や戸籍制度や家族の廃止に繋がるだろうか。


考え方によっては、夫婦別姓を認めない場合、婚前の名字を変えたくない人は結婚をしない、ということもありうる。実際に、苗字を変えたくないから籍は入れずに事実婚で通している、という人をテレビで見たことがある。そうなると、夫婦別姓を認めないがために、結婚制度が破壊されてしまう、ということだって言うことができる。


夫婦別姓論者は、誰かに自分の考えを押し付けたいのではない。自分の考えを認めてほしいだけである。しかし、稲田はそれを左翼だのマルクスだの家族崩壊だの言って、その願いを否定する。稲田が守りたい「日本」とは、一体何なのだろう。「国民の生活が第一なんて政治は間違ってる」と言ってのける稲田である。当然、稲田が守りたい日本とは、国民ではない。自分の脳内にある「あるべき日本」「日本の国体」という、実体のない妄想に過ぎない


ちなみに、全く同様の発言を、党首である安倍晋三自身がしている。この自分の脳内にある「あるべき日本の家族の形」を押し付け、それに反する者を「左翼」「亡国」と罵るのは、現政権に通底している考えなのだろう。自分の考えこそが日本のあるべき形だと決めつけ、それと逆のものを「左翼」だの「亡国論者」だのの扱いをするのは、自分に反対するものを悉く「反日」と呼ぶ狭量なネット右翼と変わらない。


さらに、稲田はこのようなことも言っている。


>>「(いまの憲法の)前文だけ読んでも、まじめに勉強すれば、反日的になるような自虐的な内容です」前掲書より。稲田さんはいまの憲法はもちろん改憲すべきという立場。


なんと、稲田朋美は日本国憲法前文が「反日的」で「自虐的」だと言うのである。憲法が「反日」とはどういうことかなのか。日本国憲法が反日的であるなら、稲田が守りたい日本とはいったい何なのだろうか。今、目の前にあるこの「日本国」ではなく、稲田自身の脳内に存在する「あるべき日本」に過ぎないだろう。それは妄想日本と言ってもいい。


稲田がいう「反日的」な日本国憲法前文を丸々引用してみよう。


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

果たして一体どこをどう読めば、これが「反日的」で「自虐的」に見えるのだろうか??


「反日的」で「自虐的」どころか、誇るべき内容しか書いていないように見える。この前文の理念が実現されるならば、日本は本当に誇るべき素晴らしい国になるだろうし、この精神に基づいていたからこそ、戦後の日本は世界から信用の厚い国になれたように私は思う。


この憲法に対して、理想論だとか現実と合わないとか言う人はいるが、「反日的」で「自虐的」と言う人を見たのは稲田朋美が初めてだ。


もしも、この「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を謳った日本国憲法前文が「反日的」で「自虐的」であるなら、稲田が考える憲法は、国民主権も平和主義も基本的人権も否定せざるを得ないだろう。


日本国憲法が、「前文だけ読んでも、真面目に勉強すれば、反日的になる自虐的な内容」と言う稲田朋美。憲法99条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という条文を守る意思を欠片ほども見せないが、真面目に勉強すれば、稲田がどれだけ危険な人物かわかるだろう。










夏目漱石は『三四郎』のなかで、日露戦争に勝って浮かれる日本について、登場人物に「滅びるね」と言わせている。その予言は見事に的中したのだが、私は今の日本について、同じように感じている。


第二次大戦の頃、日本では政府の意向に逆らうもの、戦争に反対するもの、日本が世界一素晴らしい神の国で絶対に戦争に勝つ、と信じないものは「非国民」と呼ばれた。現在、おごり高ぶった指導者たちが、自分たちと異なる者を「反日」と呼んでいる。国民の間でも、頻繁に「反日」という言葉が使われるようになった。そして、稲田は「日本が世界で唯一道義大国になる資格がある国だ」という訳の分からないことを言う(※このことは今度記事にします)。


このようにおごり高ぶった国は必ず滅びる。


稲田朋美のように、「自虐的」な考え方を否定する政治家が力を持っているせいで、日本の将来について自虐的にならざるを得ない悲しい現実がある。


安倍が「取り戻したい」日本、稲田が「守りたい」日本とは、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を柱とする、70年間平和を享受してきたこの日本国ではない。彼らの脳内にある、よくわからない妄想日本でしかないのだ。


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