<ざっくり言うと>
  • 小野寺まさる、辺野古反対を沖縄の民意と認めず、「怪しげ」「滑稽」と言いながら、安倍政権は「国民の民意」だと主張。
  • 県民投票の投票率は52%。その71%の票を集めた「辺野古反対」を民意と認めない一方、54%投票率で40%の票だった自民党政権を「国民の民意」と呼ぶ小野寺まさるのご都合主義ぶりは本当に滑稽である。
  • 「選挙と県民投票は違う」「選挙は民意だが県民投票は民意ではない」というのであれば、翁長氏と玉城氏が知事選で勝利した時点で「民意」と認めないとおかしい。
  • 全てを自分に都合がいいか悪いかだけで判断する卑怯者の集団である自民党など、日本に要らない。
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小野寺まさるのような愚物を自民党の知能レベルを図る例として扱っては、他の自民党員は激怒するかもしれない。だが、正直安倍晋三や菅義偉などを見ていても、この男と知能程度がさほど違うとは思えない。

今回の県民投票で示された「民意」を、小野寺は「怪しげ」と罵り、それを安倍に伝えた玉城知事を「滑稽」と中傷した。


だが、滑稽なのは小野寺のこの幼稚なツイートの方である。


県民投票の投票率低いことを問題視することはわからなくはない。だからこそ、このような投票では、最低投票率が設定されていたり、今回の場合、最多得票項目が「県有権者の1/4以上」の場合、知事はそれの結果を尊重する義務を負う、という県の条例が定められていた。今回「辺野古反対」は、その1/4は大きく上回り、全投票の71%、全有権者の38%の得たのである。


小野寺ら自民党員がこの結果を認めたくないは当然だろう。だから必死に「民意ではない」と主張する。


だが、前回の衆議院選、自民党は投票率53.68%の選挙で、小選挙区で47.82%、比例代表で33.28%だった。有権者全体から見れば、自民党の得票は、小選挙区では25.67%、比例代表では17.78%しかなかったのである。有権者の38%の『辺野古反対』票を「民意ではない」と主張するのであれば、有権者の20%前後の票しか得ていない自民党が与党となったのも、「民意ではない」ことになる。小野寺はこの辺のことは全く考えない、何ともご都合主義の卑怯者である。


さらに、小野寺は驚くべき知能の低さを発揮する。「選挙と県民投票は違う」と言うのである。選挙と県民投票を同じ土台で図るな、と言うのだ。選挙は民意だが、県民投票はただのアンケートで民意ではない、というのである。


その理屈で言えば、辺野古移設反対を争点にした翁長氏と玉城氏が知事に通った時点で、沖縄の民意は示されたことになる小野寺まさるは、どうやらそこまで知能が回らないらしい。


そもそも、この県民投票は、翁長氏や玉城氏が知事に通っても、「辺野古反対の民意ではない」と言う菅義偉のような奴がいるからこそ、純粋に辺野古のみの賛否を問うために行われたものである。


今回の県民投票を、選挙ではないこと、法的拘束力がないことを理由に、「民意ではない」と言っている人に聞きたいが、では、県民投票以外で、純粋に辺野古のみを問う方法があるのなら教えてもらいたい。


そして、今回辺野古反対票は、翁長氏や玉城氏が知事選で得た票数を上回った。これは、知事選で対立候補(自民推薦)に票を入れた人たちの中にも、「辺野古反対」という人たちが大勢いたことを示している。これでどうして「民意でない」などと言えるだろうか。今回の県民投票が「民意でない」のであれば、日本の選挙はほとんどどれも「民意でない」ことになってしまう。


小野寺まさるは滑稽にも「日本国民の民意で選ばれた安倍総理」などと偉そうに言っているが、日本国民は直接投票で安倍晋三を選んでいないのに対し、玉城知事は直接投票で選ばれている。自民党支持層の中にも、安倍晋三よりも石破茂、という人は少なからずおり、事実、総裁選で安倍晋三の得票は68%であった。


沖縄県民は直接投票で玉城知事を選び、県民投票は「辺野古反対」が全有権者の38%を占めた。これを「民意」と認めない小野寺まさるが、全有権者の20%超の票しかとっていない自民党の中の68%の支持で総理大臣になっている安倍晋三の方は「民意」と呼ぶのは、誠にご都合主義で滑稽である。


選挙で勝っても「他の政策との総合で選ばれるから、辺野古反対の民意ではない」と言う。


県民投票の結果が出ても「投票率が低いから民意ではない」「ただのアンケートだから民意ではない」と言う。


このご都合主義ぶりが自民党である。


自分に都合の悪いことからは目を背け、自分に都合のいいことは利用する。これが自民党である。


こんなご都合主義の卑怯者、日本に必要ですか?

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