正しい情報がなければ、正しい判断はできません。民主主義にとって、最も大切なことは情報の公開です。逆に、独裁政権は必ず情報を統制しようとします。前回紹介した、大阪維新の大久保たかゆきの言論の自由を「叩き潰す」発言も、その典型例だと言えましょう。批判されない権力は必ず腐敗します。批判されない民主主義はもはや民主主義ではありません。


日本は独裁国家になんかならない、情報統制なんかない、と思い込んでいる人も多いですが、「国境なき記者団」による世界報道の自由度ランキングで、日本は2010年には11位でしたが、安部政権下で急下降。現在世界72位で、「良い状況」「どちらかと言えば良い」「問題がある」「厳しい」「とても深刻」の5段階では、日本は「問題がある」に位置づけられています。「国境なき記者団」は安倍政権について、「メディア敵視を隠そうとしなくなっている」と批判しています(ハフィントンポスト参照)。

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そんなメディア敵視を隠そうとしない安倍政権が、またやらかしました。自民党の二階幹事長が、都合の悪い報道をするメディアを「はじめから排除して、入れないようにしなきゃダメ」と発言しました。
 
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・二階俊博は民主主義国家の政治家の資格なし


今村復興大臣が二階派のパーティーにおいて「(震災が起きたのが首都圏ではなくて)東北でよかった」と発言し、辞任に追い込まれた翌日でした。二階氏はこれに関連して、このように述べました。

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朝日新聞4月26日

「政治家の話をマスコミが余すところなく記録をとって、一行悪いところがあったら『すぐ首を取れ』と。何ちゅうことか。それの方(マスコミ)の首、取った方がいいぐらい。そんな人は初めから排除して、入れないようにしなきゃダメ

「一行悪いところがあったら」と二階氏は言っていますが、一行だろうが全体だろうが、悪いものは悪いです。二階氏の言っていることは、「一行ぐらい悪いところがあっても見逃せ」と言ってるにほかなりません。それこそ何ちゅうことか。


今村復興大臣は、先日も記者会見で激高して「自主避難者は自己責任」と発言して糾弾されたわけですが、その人物が舌の根も乾かぬうちに「東北でよかった」という発言をしたわけですから、復興大臣としての資質を問うのは当然だと思いますし、自民党内からも批判が出て、新復興大臣の吉野氏も「許せない」と言っていますが(参照)、二階氏にとっては、それは「一行悪いところがあった」程度のことで、批判する方が悪いと言っているわけです。


さらに、「マスコミの首をとった方がいい」、さらには「そんな人は初めから排除して、入れないようにしなきゃダメ」とは、情報統制以外の何物でもありません。都合の悪い報道をするようなメディアには情報をやるな、自分たちに都合のいいメディアだけを入れろ、と言っているわけです。


最初に言いましたが、批判されない権力は必ず腐敗し、批判されない民主主義は民主主義ではありません。「国境なき記者団」から「メディア敵視を隠そうとしない」と批判されている安倍政権ですが、この二階氏の発言は民主主義国家の政権として決定的に不適格だと言えましょう。



・そもそも今村の首をはねたのはメディアではなく安倍晋三


ついでに言っておくと、今回はメディアが騒いで今村氏の首が飛んだわけではありません。今村氏の発言のわずか一時間後に、安倍晋三総理自身がその二階派のパーティーに出席し、今村氏の不適切な発言を謝罪。その日のうちに更迭を決めています。


「一行悪いところがあったから」首をとれと言うのが許せないのなら、二階氏はその批判をメディアではなく安倍晋三に向けるべきです。二階氏は自分の派閥の人間が問題を起こして首を斬られて頭に血が上ったのか知りませんが、これで怒りの矛先をメディアに向けるというのは支離滅裂ですし、普段からメディアを敵視して「邪魔だ」「排除したい」と思っているからこんな発言になるのでしょう。私は今村氏の発言より、二階氏の発言の方が民主主義国家の政治家の発言としてずっと大きな問題だと思います。



・安倍晋三の謝罪は真意ではなくパフォーマンスに過ぎない


話がそれてしまいますが、付け加えておきますと、二階派のパーティーにおける安倍総理の謝罪は、政権へのダメージを心配したパフォーマンスに過ぎません。

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(↑二階派のパーティーで謝罪する安倍総理)


もしも安倍総理が今村氏の発言について、「政権に対して迷惑をかけた」ことに怒っているのではなく、本当に「東北の人を傷つけた」ことに対して怒っているのであれば、安倍総理は今村氏自身を壇上に上がらせて謝罪させるのが筋です。ところがそれはしなかった。


この時点ですでに安倍総理は今村氏の更迭を決めていたと言われています。つまり、ここでの安倍総理の謝罪は、「今村氏の発言は私の真意ではない」という弁明のためのものであり、メディアや野党に批判される前に先に謝ってほいた方がダメージが少ないという、ダメージコントロールをしただけのことです。安倍総理が怒っているのは「東北の人を傷つけた」ことではなく、「安倍政権を傷つけた」ことにたいしてなのでしょう。



・安倍政権の「ゆるみ」ではなく「本質」


今回の今村氏の発言も含め、相次ぐ閣僚の失言や暴言、さらには二階氏の民主主義国家の政治家としての適性を明らかに欠いた、独裁国家のような情報統制発言などについて、「安倍一強と言われる『ゆるみ』」だという分析がよくなされています。


しかし、私はこれを「ゆるみ」とは思いません。


ゆるもうがゆるむまいが、普段から思っていなければ、「(首都圏でなくて)東北でよかった」とは出ませんし、どんなにゆるんだって、自分たちにとって嫌な記事を書くメディアに対し「首をとれ」とか「排除しろ」とか言いません。


これは、安倍政権の「ゆるみ」ではなく、安倍政権の「本質」そのものです。


結局のところ、自分たちがえらいと勘違いし、国民を見下し、自分たちに逆らうメディアを敵視するというのが、現在の安倍政権の本質なのです。ゆるみなんかじゃありません。


今村氏の発言は復興大臣の発言としては非常に思い不適格なものだと思いますが、二階氏のマスコミ排除発言は、大臣云々(※「でんでん」ではない)以前に、民主主義国家の政治家としてあるまじき不適格な発言であり、これまでの他の失言暴言よりもさらに重いものであると思います。


これで自民党が二階氏の首をとるなら、少しは見直します。本当なら議員辞職に値するぐらいの暴言だと私は思いますが、幹事長という職から更迭するなら、自民党を少しぐらいは見直します。しかし、二階氏のこの発言をおとがめなしで放っておくならば、自民党という政党自体、民主主義国家の政党として決定的に不適格と断じざるを得ません。


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